おおかた前のブログでも言った通り、最終手段の治療(以下移植)は今までの治療とは比べ物にならないほど危険だってお話。
病院の人の話し方とかも完全にそれになっててそれとなく察したという訳ですが自分としては死ぬのが怖い訳じゃない。
怖いのは死ぬ(死ねる)までに味わうであろう苦痛だとか副作用だとかそういったもの。もう駄目ならいっそのこと安楽死もありだと思うんだけど日本の法律的に無理らしい。
一応治療をしないで苦痛だけ薬で和らげて死を待つみたいな方法もあるらしいけど
個人的にもどかしいのはその危険な移植がいつあるのか分からないという点。 今後のスケージュールとしては
- 放射線で見える部分の腫瘍を消す(進学時期にもよるけど大体~23年12月?)
- 免疫なんちゃら薬で抑えられるところまで抑える(24年1・2月~)
- その薬でもう抑えられなくなったら(もしくは副作用が強く出すぎてて使えなくなった場合)移植
免疫チェックポイント阻害薬で抑えられる期間には個人差がかなりあるらしく、最悪の場合では数ヶ月で駄目になるらしい。長くても数年らしいので3年以上持つことはないと思う。
移植で死ぬと仮定して残された時間を考えてみると、免疫チェックポイント阻害薬を使い始める(と考えられる最も早い時期)24年2月から最短で薬で抑えられなくなる可能性がある期間の3ヶ月 + 準備だので数ヶ月猶予があると考えても来年の夏ごろにはもう移植となる。
死にたい vs 死にたくない
自分がぶっ倒れたのは22年8月、そこから23年2月までに8から9割治ると言われて死にたくなるような期間に耐えた訳です。なんだかんだ治らず3月から8月まで治療が続いてそれでも治らなかった。
過去のブログでも何度か書いた通り自分はそれなりの頻度で死にたいと思ってた。それでも今こうやって生きててブログを書いてるのは心のどこかでは死にたくないと思ってたからだと思う。
実際に死の可能性を告げられるとその「死にたくない」という感情は今までより強くなると同時に副作用だとか苦痛のことを考えると「死にたい」という感情も強まってくる。
そのせいで数日経った今でも現実をよく認識できていない。全部夢なんじゃないかってずっと思ってる。
言いたいこと
なんか勢いで書き出したらよく分からない趣旨の文章になりそうだったがようやく書こうとしたことを思い出した。
そもそも難治性と言えるレベルまで悪化したのは自分が病院を避けていたからだと思う。体の不調自体は22年1月から気づいていた。
7月の初めには全身の痛みと不明熱の連続で何か良くない病気になっていることは確実だとは分かっていた。
ただこのときの自分は事なかれ主義だったのもあり
- 出席日数を失いたくない
- 病院に行こうとすると反ワクチン反PCRの母親があまりいい顔をしない
ので鎮痛剤で痛みを誤魔化し続け結局まともな病院にかかったのは肝機能停止で倒れる3日前だった。
血液検査で結果が異常だと分かり紹介状を書いてくれたが結局紹介先の病院に行く前に肝臓が止まってそのまま夜間救急に運ばれた。
それくらいまで放置していた自分にも問題があるし、
私がまともな病院に行くことを主張すると「血を抜かれて検査されたい?」とか「PCRをやめればコロナは終わる」みたいなこと言って間接的に私を病院から遠ざけていた母にも問題はある。
もしあの頃の私がもっと強く主張していたら… とか、あの頃の私が学校より健康を優先していれば… とか、もし某女性向け匿名掲示板がちゃんとワクチン誤情報の対策禁止をしていて母親が反ワクチンに染まらずに住んでいれば… 多分どれか一つでも実現してればこうはならなかったと思う。
とりあえず言いたいのは「どこか悪ければすぐ病院に行こう」ということと「反ワクチンとかの悪質な反医学の傾向がある誤情報陰謀論は非常に有害」ということだ。
Twitterとか掲示板で反ワクチン反医学のデマを広めているアホ共はいい加減自分たちの行為で被害者を出していること、あなた達の行動が間接的に誰か罪のない人間を殺すかもしれないことを知って理解してほしい。「自然派」とかそういう都合のいい言葉に騙されないでほしい。本当に心の底からそう思う。
他にも医療帽子と配慮申請についてとか言いたいことは山程あるけどそれは後日別の記事にしようと思う。最後まで読んでくれてありがとうございました。